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Sat, September 12, 2009

直感について

脳の本を読んでいたら、ある種の脳疾患のあるの患者さんへの実験として、 握手するときに、電気ショックを与える、という話が載っていた。

脳はいやなことが起きたという記憶はどこかに持っている

その脳疾患を持った患者さんは、電気ショックを与えられたということを 記憶し続けることはできないのだが (つまり、そういう類の脳疾患ということだが)、 次回、同じ人が握手を求めると、それを拒絶するという。

理由を訪ねると、「今トイレにいって手を洗っていないから・・・」など 本当は電気ショックを与えられたことが原因なのだが 別の理由を言うとのこと。

この本では脳の特徴的な機能の一つ「作話」の例として紹介されていた (...と記憶しているが、既に私自身「作話」している可能性は否定できない) が、
ここで言えるもう一つのことは、 その患者さんは、電気ショックを与えられたという情報は記憶していなくても この人と握手したらいやなことが起きた、という情報はなんらかの形で記憶しているわけです。

近所のコンビニでどこに行くか、という話

個人的な話ですが、 うちの近所には、ファミリーマートとセブンイレブンとローソンがあります。 ファミリーマートがもっとも便利な立地にあり、もし3つのコンビニで同じサービス・商品を 同じ値段で買うことができるとすれば、常にファミリーマートに行くのがもっとも合理的です。

しかし、私がよく利用するのはセブンイレブンで、 ファミリーマートは特別な理由がない限りは行きません。 (ローソンはさらに特別な理由がないかぎりは行きません。)

長すぎる前フりですが、今回はこのことについて考えました。

自分の脳はどのように直感を使っているか

今日たまたまローソンで買い物したところ、レジのお姉さんがタバコ臭かったので、 いやな思いをしました。今は、そんな目にあったばかりなので覚えていますが、 おそらくこのことは一年後には忘れてしまうでしょう。

つまり何がいいたいのか?というと、私の脳はいちいち言語情報として、 ○○でやなことがあった・いいことがあった、とかは覚えてはいないが、 その情報はどこかに言語情報以外の形で蓄積されていて、 自分の行動に影響を与える (ここでは、なぜか無意識的にローソンでなくセブンイレブンに行くという行動を取る) ということです。

私はメモ魔なので、こんなこともメモとして残しておきたくなるタイプですが・・・

さすがにコンビニで感じたことをメモすることはやったことないですが、 以前電車の混み具合をメモして将来利用しようとしていたことがあります。

という具合です。しかし...

  1. メモした時点とメモを利用する時点が時間的に離れていることが多いこと(というか近ければ単にそのことを覚えているのでメモを見る必要はないし)
  2. 該当メモを検索するのに時間がかかりすぎる(というかたいていはメモしたノートが既にないわけだが)
  3. 混んでいる・いないに関わらず今の時間帯乗る必要があり選択の余地がない

などの理由によりメモする意味がないと思い至ってメモはやめました。

最近では、脳の機能を利用すればいいのだと思いメモする必要はないと考えるようになりました。
つまり、脳はどこかでその情報を覚えていて、「なんとなくやだ」といったような”感じ(feeling)”情報として わたしに正しい行動を取らせようとすると思うからです。

直感は原始的な機能に違いない

脳のことはよく知らないのですが、 このような「フィーリング」のような言語以外の記憶の蓄積と利用=直感がむしろ発達していることは、 想像しやすいです。

言語を持たない野生動物が...

という具合です。 このような過去の体験を活用できる脳を持っていた方が生存に有利だったことは想像できます。

こういうことは、仮に言語を持っていたとして、さらに過去の体験を言語情報として記憶しておくことができたとしても、

危険な状況では、上記のような悠長な判断をしていたのでは、間に合いません。 これこそが、情報を言語ではなく、別の情報として蓄えていて、 必要になったとき、「いやな予感」というような直感として感じ取るようにしている理由だと思われます。

自分の必要なものは本当は知っている

その本には他にも、"認識できなくても正しい答えを答えることができてしまう実験"、というのも 紹介されていました。
オーリングテストの類もある種、 自分が本当は正しい答えを知っているが認識できていないことの顕在化、なのかもしれません。

ずっと昔に読んだ本では、 「ショッピングをしていると商品の方が自分に語りかけてきて、自分にとって必要な商品を簡単に見つけられる」 というようなことを書いている人がいましたが、 そういうのも「予感」の一種として考えることができそうです。

つまり、自分は本当は知っている(ただし意識はできない)ことを意識に上らせるには、 たとえば、「やな感じ」のようなフィーリングや、 「おなかが痛い」という身体的な反応として意識上に伝達されてきます。 ある人の脳が、単なるフィーリングを ”「商品が話しかける」”というよりわかりやすいサインに変換するようにプログラムされていたとしても それほど不思議はないような気がします。
そういえば、わたしの好きなワインバーグさんの「コンサルタントの秘密」では音楽に着目せよ、という形で 同じことが説明されています。 そこでは、意識は状況を読み取れないのですが、頭の中に流れる歌に着目することで、より正しい状況が認識できる (可能性がある)という話です。

GMワインバーグ著 コンサルタントの秘密からの引用

「言葉と音楽が合っていなかったら、そこには欠けた要素がある。」

蓄積したメモ情報を利用しやすい形式に変換する

わたしはここ10年くらいで1万件弱のメモを書いてクラウド上に保存しているのですが、 その活用方法はといえば、全文検索して、必要な情報にたどりつく時間を節約している程度です。

最近では、

  1. 技術の進歩が早く情報が陳腐化が速いこと
  2. ネット上にブログのような形で些細な情報もたくさんある
  3. Googleのような優れた検索エンジンがある

こと、から自分のメモを検索するより、単にググった方が時間が節約できる場合も増えてきていますが。

それでも、個人的な傾向・嗜好は存在するため、場合によってはGoogleより効率的です。
そうして自分のメモを検索して再利用していると気づくのが、あるキーワードで 検索してみると、意外にヒット数多いな、とかいったことです。
つまり、メモしたことは疾(とう)の昔に忘れいているが、検索したときのヒット数の多さで そのことに自分がコミットしてきた度合いがわかるわけです。

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